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【悲報】フィギュアスケート・浅田真央が好かれ安藤美姫は嫌われた『本当の理由』がコレ・・・・・・・・・・・・・・・

   

【悲報】フィギュアスケート・浅田真央が好かれ安藤美姫は嫌われた『本当の理由』がコレ・・・・・・・・・・・・・・・

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1: 超速V話題のまとめちゃん 2017/04/13(木) 15:27:04.51 ID:CAP_USER9

女子フィギュア界の国民的ヒロイン・浅田真央選手が引退を表明した。4月12日に行われた記者会見では白いジャケット姿で約50分間、
報道陣の質問に応じ「フィギュアスケートはどんな存在か?」との問いには、「私の全てがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です」。
最後のあいさつでは目に涙を浮かべながら言葉を詰まらせ、「新たな目標を見つけて笑顔で前に進んでいきたい」と締めくくった。

これまで浅田選手が築き上げてきた栄光の歴史は文句なしに素晴らしい。2010年のバンクーバー冬季五輪で獲得した銀メダルを含め国際大会で手にした総メダル数は21個(金=12個、
銀=7個、銅=2個)。これらの功績は彼女が引退した後も決して色あせることなく後世に語り継がれていくだろう。

ここまで数多くの人に愛された日本人フィギュア選手はいない。実際に浅田選手が10日深夜に自身のブログで引退の意思を明らかにした直後、
各マスコミは次々に速報を流すなどしててんやわんやの大騒ぎになった。翌11日にはテレビ朝日が午後7時から浅田引退の特番を放送。
NHKを含め各放送局のニュースもほぼトップ扱いで報じ、万人に愛された国民的ヒロインの引退を惜しんでいた。

フィギュア界だけでなく各界の著名人たちも浅田選手の引退について続々とコメント。その影響力の高さを改めて証明する形にもなった。

そんな浅田選手の引退を日本中が惜しむ中、もう1人の元女子フィギュアスケート選手の存在を忘れてはいけない。浅田選手よりも3歳年上の安藤美姫さんだ。
ネット上でもスーパースターの浅田選手と対照的に安藤さんは多くのネットユーザーたちから引退した今も、その一挙一動に対して何かとイチャモンが付けられるほどに嫌われている。

浅田選手がキラ星のごとく輝いているスターなのに対し、安藤さんは女子フィギュア界OG選手の中で不人気投票をしたら1位になりそうなくらい世間の支持率が極端に低い。
浅田選手がこれだけ多くの人に愛され、逆に安藤さんは敬遠されがちなのは一体なぜなのか――。対照的な2人の背景を追ってみた。

●かつての安藤さんは「一時代を築いた人気者」

今でこそすっかり「嫌われ者」になってしまった感の強い安藤さんだが、かつては紛れもなく日本の女子フィギュア界を引っ張る実力者だった。
実際、数々の世界大会で12個のメダル(金=6個、銀=2個、銅=4個)を獲得している。2006年のトリノ(15位)と、2010年のバンクーバー(5位)にも五輪代表として出場経験を持つ。

ジュニア時代を経て日本の女子フィギュア界で台頭した2004~2005シーズンはGPシリーズなどでの活躍もあって安藤人気が爆発。
2007年の世界選手権ではSP、フリーともに会心の演技を見せて金メダルに輝き、日本人選手としては4人目の女王になった。

ところがちょうどこのころにジュニア時代から「天才」と称されていた浅田がシニアの大会に出場するようになり、徐々に取って代わられるように主役の座を奪われていく。
その安藤さんが引退を表明したのは2013年12月23日。全日本選手権で総合7位に終わり、ソチ五輪代表の座を逃したことで競技生活を終える決意を固めた。

輝かしい経歴があり、しかも安藤人気が沸騰していた時代は彼女が出場する大会の会場に入場制限がかけられることもしばしばあったほど。
女子フィギュア界で浅田選手のように「国民的ヒロイン」とまではいかないまでも、かつての安藤さんが「一時代を築いた人気者」であったことは間違いない。

それならば今回の浅田選手のように安藤さんも女子フィギュア界の功労者として引退時には各メディアから、もっとスポットライトが当てられても良かったような気がしないでもない。
だが現実は酷であった。当時、安藤さんの引退に関するニュースは各メディアで実にサラッとした形でしか報じられず、彼女の引退特番を流した放送局も皆無だった。

ITmedia ビジネスオンライン 4/13(木) 12:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000055-zdn_mkt-bus_all



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