秋元康氏から小嶋陽菜への手紙全文「心の底から感謝」
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秋元康氏から小嶋陽菜への手紙全文「心の底から感謝」
卒業を迎えた小嶋に、秋元氏が感謝の手紙
僕が個性の強い初期メンバーに手を焼いているときも、君はやるべきことをきちんとやった上で、自分の時間をちゃんと作ってました。
AKB48がまだ売れていないころ、代官山の地下にあるレコーディングスタジオで、雑談をしていたときに突然、君に言われました。「私、意外に歌、うまいんですよ」。もちろん、君らしい冗談っぽい感じで。
でも、手がかからないからって、ほったらかしにされている君のちょっとすねたような抗議でした。そう、確かに君の歌は良かった。僕は忘れていました。すぐに前田敦子とダブルセンターで歌を作りました。「夕陽を見ているか?」。
きっと今までに何度も卒業しようと思ったことでしょう。初期のメンバーが次々に卒業してからは、なおさらだったと思います。
何年か前、君が「話がある」というので、麻布十番のイタリアンレストランで食事をしたことがありましたね。あのときもきっと君は真剣に卒業のタイミングを相談したかったのに、冗談で終わってしまいました。まるで結婚したい人がいるという報告を聞きたくない父親のように、君の卒業はいつもはぐらかしてきたような気がします。
それでも君はAKB48の将来を考え、後輩たちのことを考え、無理に言い出すことはありませんでした。
だから、僕も君に甘え、本当に君が30歳を超えてもAKB48にいてくれたらいいなと思っていました。
そんな君が今日、2017年4月19日、このAKB48劇場で卒業するにあたり、ようやく、僕は君に言えそうです。「陽菜、もう少しAKBにいたら?」。いや、うそです。もう陽菜に甘えられません。
フニャフニャしてて、やる気がないように見えて、手を抜いてるように見えて、でも本当は誰よりもまじめで、責任感があって、AKB48を愛し続けた君に、心の底から感謝します。ありがとう。
卒業おめでとう。第2の人生のスタートを祝福します。
秋元康
http://news.livedoor.com/article/detail/12957798/
小嶋 陽菜(こじま はるな:1988/4/19生)
埼玉県出身の女優、アイドル。
AKB48チームAのメンバーである。
2005年、『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格。
2006年、AKB48としてシングル「会いたかった」で、メジャーデビュー。
2007年、『山田太郎ものがたり』で、テレビドラマ初出演。
2012年、『AKB48 27thシングル選抜総選挙』では7位となり、選抜入りを果たす。
2016年、『AKB48 45thシングル選抜総選挙』には、「にゃんにゃん仮面」名義で立候補した。
同年、時期をみての卒業を発表した。
モーニング娘。が大好きで道重さゆみの大ファンでも知られている。
天然キャラは実は演技とも言われ、スタッフを顎で使うと有名だとか。
秋元 康(あきもと やすし:1958/5/2生)
東京都出身の作詞家、放送作家。
大学時代、放送作家のアルバイトをしていたが、既にサラリーマンの4倍の収入があったという。
作詞を手掛けるようになり、長渕剛「GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を得る。
「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせた。
美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当し、作詞家としての地位を不動のものにした。
2005年、アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーに就任。
動画
こじはる、AKB48卒業当日の心境