本田宗一郎凄すぎだろw ただの自動車整備士から1代で大企業の社長とかwww
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本田宗一郎凄すぎだろw ただの自動車整備士から1代で大企業の社長とかwww
「愛嬌」ある名経営者となると、二人の顔が思い浮かびます。その一人は、松下幸之助と並ぶ立志伝中の人物、本田技研工業(ホンダ)の創業者である本田宗一郎です。
宗一郎を取材した最後の記者は自分である、と筆者はひそかな自負をもっています。話は彼が亡くなる数カ月前の1991年春にさかのぼります。
「本田のおやじさんが新車発表会に出てくるんだけど、会ってみたいと思う?」あまりに唐突な話で、すっとんきょうな声でこう聞き返していました。
なぜなら、本田宗一郎は病床に伏していて、ほとんど外出もままならないと聞いていたからです。「5月中旬に、軽自動車のオープンカー『ビート』の発表を予定しているんだけど、本人は『どうしてもビートを見たい。でも、記者が大勢集まる場所には出たくない』と言うから、
両方をクリアするために発表会の前にこっそり、車を見に来る予定になっているんです」1991年5月15日、場所は都内のホテル。本田宗一郎本人が入ってきた。おぼつかない足取りで、ビートの前まで歩いてきました。
ゆっくりとビートの周りを一周し、「これはいいねぇ、若い人なんか……」と、ややかすれた声で話し、語尾は聞き取れませんでしたが、目だけはギラギラと輝いているのが印象的でした。研究所でエンジンテストをしている若い女性エンジニアが、上司から紹介され、宗一郎の前に進み出たのです。
その女性エンジニアの顔をじっと見ていた宗一郎は、にこっと顔をほころばせ、照れたようにひと言発しました。「俺、負けちゃうな」それは、80歳を過ぎた老人のものとは思えない、実に可愛げのある表情でした。思わず漏らした「負けちゃうな」には、「これからは君たちの時代だ。あとは任せたよ」という、
遺言に近い思いが込められていたように聞こえました。女性エンジニアが、「握手させてください」と手を差し出すと、宗一郎はにこやかに応じ、二人はがっちり握手しました。
これが、本田宗一郎が公の場に見せた最後の姿となりました。この日から約2カ月半後の8月5日、天に召されました。享年84。
どこか憎めない、人柄の温かさのようなものを感じました。
http://toyokeizai.net/articles/-/150187
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