【サッカー】長友、世代交代歓迎で本田と「いろいろと話したい」
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【サッカー】長友、世代交代歓迎で本田と「いろいろと話したい」
1: 2016/11/17(木) 05:29:24.22
大勢のサポーターに見守られて出発ゲートをくぐった長友は、日本サッカーの新時代到来を確信していた。その思いを戦友・本田と共有するべく、ミラノ行きの航空機に乗り込んだ。
「若手が出てくることで競争も激しくなるし、自分の立場も難しいことになる。でも、すごくうれしくて。日本代表はこういうふうにあるべき。圭佑とは話もしていますし、飛行機が一緒なので、いろいろと話もしたいと思います」
最終予選前半戦の大一番となったサウジアラビア戦で、自身は先発したものの本田はベンチスタート。代わって右FWで先発したのは22歳のFW久保だった。
本田の試合勘の欠如という大きな不安要素はあったが、重要な一戦でハリルホジッチ監督が下した決断は、世代交代を意識してのもの。本田は後半開始から出場したが試合後には「みんなに聞いてやって」と足早に会場を後にし、この状況を歓迎した長友とは対照的だった。だからこそ長友は若手のサポート役とともに無言のまま出国した本田をなだめる“相談役”として名乗りを上げた。
「僕らが出始めたころの感覚を思い出せた。あのとき、中沢佑二さんや中村俊輔さんたちがどうサポートしてくれたかなっていうことを自分自身わかりましたし、勉強になりました」
自分たち“本田世代”が台頭した2010年南アフリカW杯では、10番を背負った中村はベンチで献身的に働いていた。大きなサポートを受けて16強入りし、その後の飛躍につなげた。次は自分たちの番。本田を説得し、より一層チームの結束が固まったときにロシアへの道がはっきりとみえてくる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161117-00000502-sanspo-socc
長友佑都
長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 – )は、愛媛県西条市出身のプロサッカー選手。セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)及びミッドフィールダー(サイドハーフ、ウイングバック)。日本代表。
生い立ち
スポーツ一家に生まれ、母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手の吉田達雄。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実は大叔父にあたる。父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。
小学校1年生時にサッカーを始め、6年時に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けるも不合格。西条市立北中学校時代に恩師である井上博に出会い、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベースが作られた。サッカーの強豪東福岡高校では、森重潤也のもと2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず、進学先の明治大学政治経済学部には指定校推薦で入学した。高校時代の同級生には近藤徹志、ラグビー日本代表の豊田将万などがいる。
長友佑都 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia
大人になりきれない本田
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