【中村橋之助】不倫報道受け会見8回も「不徳の致すところ」繰り返す
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【中村橋之助】不倫報道受け会見8回も「不徳の致すところ」繰り返す
1: 2016/09/15(木) 05:57:28.24
黒っぽいスーツ姿で会見場に現れた橋之助は少し目が赤く、緊張からか額には汗がにじんでいた。不倫関係があったのか聞かれた橋之助は「私の不徳の致すところ」と否定しなかった。その後も「不徳の致すところ」という言葉を25分間の会見中に8度も繰り返した。
週刊文春によると、女性は京都の人気芸妓(げいこ)でテレビにも出演するなどタレント活動も行っているという。 出会ったのは約20年前で歌舞伎を支える京都の関係者の一人として知り合った。橋之助によると、妻の三田も女性のことは認識していた。
女性は8月下旬、1週間の間に数回上京。その間に3度、橋之助とホテルで会ったという。「最近よく会っていたのか?」という質問に「襲名のこととかいろいろとご尽力をいただいたので…」としどろもどろになりながらも否定はしなかった。また橋之助は襲名興行の成功祈願のため、三田が見つめる中、先月29日に東京・浅草寺で「お練り」を行った。
女性も沿道の人たちに交じって見学していた。橋之助は「呼んでいません。いらっしゃるのも知らなかった」と釈明。女性と今後も会うかどうかについて「京都の関係者の方々にはお世話になっていますので」と明言を避けたが「ホテルで会うことは二度とない?」という質問には「もちろんです」と断言した。
今回の件はすでに三田へ報告。「きつく、きつく叱られた。時間を忘れるぐらいだった」と語った。三田は「大名跡を継ぐことについて、認識はあまりにも足りなかったんじゃないですか」と“梨園の妻”らしく取り乱すことなく叱咤(しった)。「興行のために時間を忘れて走り回っている家内に対して申し訳ない」と橋之助は言葉を詰まらせた。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/09/15/kiji/K20160915013357100.html
中村 橋之助
三代目 中村 橋之助(さんだいめ なかむら はしのすけ、1965年(昭和40年)8月31日 – )は、歌舞伎役者、俳優。本名は中村 幸二(なかむら こうじ)。屋号は成駒屋。定紋は祇園守、替紋は四つ梅。スプリングフィールド所属(2012年より太田プロと業務提携)。
概要
年少時から積極的にテレビ等にも出演、歌舞伎界のみならず一般的知名度も高い。父譲りの古風な顔立ちで、立役を得意とする。近年では義太夫狂言にも積極的に取組む。
夫人は、三田寛子で、彼女との間に生まれた長男中村国生、次男中村宗生、三男中村宜生と、3人の息子全員が歌舞伎俳優としての道を歩みだしている。
父は七代目中村芝翫、兄は九代目中村福助。また姉・好江の夫が十八代目中村勘三郎で、勘三郎が主演を務めたコクーン歌舞伎でも多く出演している。
中村 橋之助 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia