小学生「津波が来る?裏山に逃げようぜ!」 聡明なはずの教師たち「動くなボケ!!」
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小学生「津波が来る?裏山に逃げようぜ!」 聡明なはずの教師たち「動くなボケ!!」
・校長は年休をとって不在
・教師A(教職員の中で唯一の生存者)が校庭に出ろ山に逃げろと叫び、それを聞いた児童たちが裏山に駆け出す
・別の教師が怒鳴り無理矢理引き戻す
・「山さ上がろう」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と教師に食ってかかる児童たち
・グラウンドから裏山まで140m、40~50秒
・裏山は緩やかな傾斜でシイタケ栽培など児童たちも普段から登り馴染みがある
・遠方児童のためのスクールバスがエンジンをつけて待機している
・スクールバスには詰め込めば児童全員乗れないこともない
・点呼を終えても余震の中で児童をグラウンドに座って待機させ続け議論する教師たち
・裏山に逃げる派(教頭・教師A)と津波は来ない学校は安全派で対立
・避難してきた周辺住民も加わり、津波は来ない川の堤防(三角地帯)に逃げる派(釜谷区長)も対立
・たき火の準備をする
・防災無線からの6m大津波警報を聞いている
・広報車からの大津波警報を聞いている
・迎えに来た保護者たちから大津波警報のことを聞いている
・迎えに来た保護者たちに教師が「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」と伝える
・保護者とともに避難した児童は助かる
・避難する市民から津波が来るぞと聞いている
・「大丈夫だぞ」「こんなところで死んでたまるか」とグラウンドで励まし合う児童たち
・約50分もグラウンドに待機し、津波到達1分前に避難を開始する
・避難先はなぜか裏山ではなく三角地帯に教頭が決定、なぜか最短ルートではなく逆方向から出発
・避難中に津波に飲み込まれ、それを見て急いで山に駆けた後列の児童は助かる
・避難先の三角地帯は完全に津波に飲み込まれ避難が完了しても助からなかった
・地震発生から津波到達まで51分ありながら児童たちは1mも高い位置に移動できなかった
・児童108人中74人死亡、教職員10人死亡、スクールバス運転手死亡
・近隣の学校では地震直後に高台へと避難しており犠牲者ゼロ
・教育委員会が生存児童からの聞き取りメモを廃棄して嘘報告書をでっち上げ
石巻市立大川小学校(いしのまきしりつ おおかわしょうがっこう)は、宮城県石巻市釜谷山根にかつて存在した公立小学校である。旧桃生郡河北町に位置する。
本項では、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波で同校児童らが死亡した事件についても記述する。
避難場所を巡って議論
教職員の間では、裏山へ逃げるという意見と、校庭にとどまり続けるという意見が対立した。避難所でもある小学校に既に避難してきていた老人がいることから、裏山ではなく、約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)へ避難するという案も上がった。
市教育委員会の報告書によれば、教頭は『山に上がらせてくれ』と言ったが、釜谷地区の区長は『ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう』と提案を認めず、口論となっていたという。
この議論の間、20家族ほどの保護者が児童を迎えに来て、名簿に名前を書き帰宅していった。大津波警報が出ていることを報告した親もいた。教師たちは「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」などと言い、逆に保護者達を引き留めたという。実際に引き留めに応じた母親は、15時29分に「子どもと学校にいます。」と夫に向けて電子メールを送り、その後津波により死亡している。
また、山に逃げたものの連れ戻された児童らが、「津波が来るから山へ逃げよう」「地割れが起きる」「ここにいたら死ぬ」と教師に泣きながら訴えている光景が、このときの保護者達により目撃されている[15][17]。未曾有の大地震があった直後の現場は、集団パニック状態かそれに近い状態であり、様々な情報や意見が行き交う中で、正しい判断を行うことが困難な状況であったことが推測される。