本物か?朝日赤報隊を名乗り、慰安婦問題資料館に爆破予告
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【朗・・・・ケシカラン!!】 本物か?朝日赤報隊、爆破予告 キタ━━━━:(;゙゚’ω゚’):━━━━!!
1: ミッドナイトエクスプレス(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ [FR]2016/10/31(月) 10:20:02.52 ID:zw8s78Yj0.net BE:565421181-PLT(12000)
慰安婦問題資料館に爆破予告 「朝日赤報隊」名乗る
慰安婦問題などの資料を展示する「女たちの戦争と平和資料館」(東京都新宿区)は30日、
同資料館の爆破を予告するはがきが届いていたとホームページ上で明らかにした。
ホームページによると、「朝日赤報隊」を名乗り、「爆破する 戦争展示物を撤去せよ」と記されていた。
消印は9月30日付で、今月5日に同資料館に届き、警視庁に被害届を出したという。
http://www.sankei.com/affairs/news/161030/afr1610300026-n1.html
赤報隊事件(せきほうたいじけん)は1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件である。2016年現在も犯人特定・逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。ここでいう「赤報隊事件」とは、1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こした以下の事件を指す。 朝日新聞東京本社銃撃事件 朝日新聞阪神支局襲撃事件 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件 中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件 愛知韓国人会館放火事件特に朝日新聞阪神支局襲撃事件では執務中だった記者二人が殺傷され、言論弾圧事件として大きな注目を集めた。「赤報隊」による事件犯人が送り付けた犯行声明文(朝日新聞東京本社銃撃事件)朝日新聞東京本社銃撃事件 1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれた[7]。その後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。そこでは自分たちを「日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊」とし、さらに「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」「一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」「特に朝日は悪質である」と朝日新聞に激しい敵意、恨みを示し、マスコミを標的としたテロの継続を示唆する内容だった。朝日新聞阪神支局襲撃事件 1987年5月3日、午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入し、2階編集室にいた29歳記者と42歳記者に向け発砲した。29歳記者は翌5月4日に死亡(殉職により記者のまま次長待遇昇格)、42歳記者は右手の小指と薬指を失った。犯人は現場にいたもう1人の25歳記者には発砲せずに逃走した。勤務中の記者が襲われ、死亡するのは、日本の言論史上初めてであった。5月6日に時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届いた。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」と殺意をむき出しにした犯行声明であった。朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件 1987年9月24日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された。無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に一発ずつ発砲した。その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦後日本の民主主義体制への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた。朝日新聞静岡支局爆破未遂事件 1988年3月11日、静岡市葵区追手町の朝日新聞静岡支局(現:静岡総局)の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった。犯行声明では「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなく毎日新聞社や中日新聞東京本社(東京新聞)も標的にする旨が記されていた。しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。中曾根・竹下両元首相脅迫事件 静岡支局事件と同じ1988年3月11日の消印(静岡市内で投函)で、群馬県の中曽根康弘前首相の事務所と、島根県の竹下登首相の実家に脅迫状が郵送された。中曾根には「靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った。英霊はみんな貴殿をのろっている」「今日また朝日を処罰した。つぎは貴殿のばんだ」と脅迫、竹下には「貴殿が八月に靖国参拝をしなかったら わが隊の処刑リストに名前をのせる」と靖国神社参拝を要求する内容だった。江副元リクルート会長宅銃撃事件 1988年8月10日午後7時20分頃、リクルート事件で世間を騒がせていた江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲された。犯行声明はその動機を「赤い朝日に何度も広告をだして金をわたした」からだとしている。また、「反日朝日や毎日に広告をだす企業があれば 反日企業として処罰する」と企業を標的にした内容も犯行声明には記されていた。ただし、リクルート社が他紙に比べ、朝日に多く広告を出していたわけではなかった。愛知韓国人会館放火事件 1990年5月17日午後7時25分頃、名古屋の愛知韓国人会館(民団系)が放火される事件が発生。犯行声明では当時の韓国・盧泰愚大統領を「ロタイグ」と日本語読みした上で、その来日に反対し、「くれば反日的な在日韓国人を さいごの一人まで処刑」と脅した。
引用元http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1477876802
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