【ヤマカン】元京アニ社員・山本寛さん京アニ放火事件について語る「今までやってきたことに対する代償」「京アニにも『年貢の納め時』が来たのだ」
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【ヤマカン】元京アニ社員・山本寛さん京アニ放火事件について語る「今までやってきたことに対する代償」「京アニにも『年貢の納め時』が来たのだ」
0 :ハムスター速報 2019年7月30日 08:43 ID:hamusoku
ヤマカンこと山本寛氏、京アニ放火事件に持論 「狂気との共犯関係」「今までやってきたことに対する代償」
京都アニメーションを襲った放火事件をめぐり、かつて同社に在籍していたアニメーション監督のヤマカンこと山本寛氏がブログを更新した。
山本氏は「僕と京都アニメと、『夢と狂気の12年』と『ぼくたちの失敗』」というエントリーを29日に公開。まず、自身が2007年に京都アニメーションを去ったことを、「匿名掲示板の『狂気』と結託し、僕をアニメ制作の最前線から引きずり降ろした」と回顧。ここで重要なことは、同社が「『狂気』と結託」したことで、この時から「ネットの「狂気」との共犯関係」が始まったとしている。
山本氏によると、同社は「共犯関係」を歓迎し続け、「アニメは『狂気』をも数の力として都合良く吸収し」発展を遂げてきたという。しかし、「どうしようもなく犯罪的なまでに異形の人間の存在を防御し、峻別することに、皆あまりに無頓着」で、既に火種が混じっていたとのこと。そして、火種が爆発したことは、「『ぼくたちの失敗』に対する『代償』だと、敢えてここで断言する」と持論を展開した。
また、自身が12年間代償を払ってきた一方で、同社は「今、いっぺんに払うこととなった」とのこと。「いっぺんにしてもあまりに多すぎないか?僕は奥歯をギリギリ噛みしめながら、そう思う」としながらも、「彼らにも遂に『年貢の納め時』が、来たのだ」と述べている。
山本氏は、「表現する者は、もはやいつ何時でも襲い来る『狂気』に対する『自衛』の方法を、自分たちで必死に考えるしかない」と提言。最後は、「あなたは今までアニメを壊したことはなかったと、自信を持って言えますか?」とのファンへの問いでエントリーを締めくくった。
京アニ社員時代、らき☆すたの監督を途中降板させられた山本寛さん
卒業後は株式会社京都アニメーションに入社。デジタル映像開発室勤務を経て演出助手や撮影などを経験した後、1999年『POWER STONE』の第10話「夢で見た赤い月」で演出デビュー。その後同社の大阪スタジオであるアニメーションDoへ移籍し、同じく演出を務めた。
2007年『らき☆すた』でアニメ初監督を務めるも、「監督において、まだ、その域に達していない」[8]との社内判断により第4話をもって降板させられる。第5話からは武本康弘に交代した[9]。同年6月23日をもってアニメーションDoを退社しフリーとなる。