こんな記事待ってた

生駒里奈、タモリに「おそ松さん知ってますか?」と質問 「こんなこと聞くなよ」などと厳しい声が挙がる

   

生駒里奈、タモリに「おそ松さん知ってますか?」と質問 「こんなこと聞くなよ」などと厳しい声が挙がる

1 不知火(愛知県)@\(^o^)/:2016/06/11(土) 15:24:04.51 ID:tYKqzU9z0

生駒里奈、タモリに失言?で釈明「本当にすみません」

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乃木坂46の生駒里奈(20)が、タモリへの“珍質問”がネット上で話題になっている。漫画家・赤塚不二夫さんの『おそ松くん』を土台にしたアニメ『おそ松さん』について、赤塚さんと深い親交のあったタモリに「おそ松さん知ってますか?」と質問。これをめぐってネットには疑問の声があがり、生駒がブログで釈明するなどの騒動になっている。

物議を醸したのは、10日放送のテレビ朝日系『ミュージックステーション』でのこと。乃木坂46として出演した生駒は、司会のタモリとのトーク時に、アニメ『おそ松さん』にハマッていることを説明。そして、タモリに対して「おそ松さん知ってますか?」と質問した。

アニメ『おそ松さん』は、赤塚不二夫さんの「おそ松くん」を土台に、松野家の6つ子が20歳を過ぎてもニート生活を送っているという設定で描かれるギャグアニメ。赤塚さんとタモリさんは下積み時代から深く交際し、2002年に赤塚さんが逝去された際には、タモリが白紙の弔辞を読み上げて話題になるなど、2人の絆の強さに胸を打たれた人は多い。

そうした背景の中での生駒の発言。ネット上では、赤塚さんとタモリの関係を把握していないのではとの疑いを持ったようで、「こういうのゾッとする」「タモさんのこと何も調べないのかな」「周りの人間が怒る」「こんなこと聞くなよ」などと厳しい声が挙がった。

自身のブログを更新した生駒は、Mステでの出来事についてあらためて説明。「Mステ内でアニメおそ松さんについて触れる所がありまして、生放送の短いトーク時間に全てを語るのはやはり難しく、赤塚不二夫先生とタモリさんの関係性といいますか、ちゃんと私は理解した上でのトークでした!」とし、赤塚さんとタモリの絆を知ったうえで話をしていたと伝えた。

そして、「だから、いろいろ本当に作品が大好きな方々に私なんかが喋ってしまった事で、不快な思いをさせてしまったかもしれません。でも、テレビで話すという事はファンが多い作品の事を話すという事は歴史のある作品の事を話すという事はとても難しいです!」と本音ものぞかせた。

さらに、「だから、せっかくの楽しい時間、疑問やモヤモヤした気持ちにさせて本当にすみません。ですが、私も1ファンとして、たまたま乃木坂46としてお仕事させてもらっている身なので。。。皆さんの目に触れる時、嫌な思いをしないように取り組んでまいります!! よろしくお願い致しますっ!!」とメッセージを寄せている。

生駒の発言の真意は、あくまで『おそ松くん』のその後を描いた作品がいま、若者の間で人気になっていることを説明しようとしたと思われる。それだけに、ネット上では「おそ松さんを知ってるのか聞くのはおかしなことじゃないだろ」と生駒を擁護する声も挙がっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160611-00010000-musicv-ent

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年(昭和10年)9月14日 – 2008年(平成20年)8月2日)は、日本の漫画家。

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小学六年生の時、手塚治虫の『ロストワールド』に大いなるショックを受け、漫画家を志す。1956年に貸本漫画『嵐をこえて』でデビュー。その後石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』の大ヒットで一躍人気作家となる。1967年に代表作である『天才バカボン』の爆発的ヒットと、その後の『もーれつア太郎』『レッツラゴン』といった一連のヒット作や長期連載作品等により「ギャグ漫画の王様」[1]と謳われ、戦後ギャグ漫画史の礎を築いた。

赤塚 不二夫 – Wikipedia

タモリ(1945年8月22日 – )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家。本名:森田 一義(もりた かずよし)。
福岡県福岡市南区出身。田辺エージェンシー所属。血液型はO型。妻は2歳年上の一般人で自身の個人事務所の社長を務めている。妻との間に子どもはいない。
女優の伊佐山ひろ子とは遠戚。

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福岡で生活しつつ、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送り始めたタモリだったが、同年夏、面白いことをやっている人間がいるという噂を聞きつけた赤塚不二夫がタモリの元を訪れる。赤塚は、タモリの即興芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自らの特別番組にタモリを出演させることを決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。

1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み、ベンツのスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる(タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」)。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20〜30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。

なお、生活スペースをタモリに譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送った。赤塚が着る服がなくなりやむなく「赤塚宅」に一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。タモリが考える居候の秘訣は、「卑屈になるな」。

タモリ- Wikipedia

7 タイガードライバー(京都府)@\(^o^)/:2016/06/11(土) 15:27:02.52 ID:U0vmSqL40.net

おそまつさんとか
赤塚噛んでないやろ

くんなら知ってるけどさんは知らん

74 セントーン(兵庫県)@\(^o^)/:2016/06/11(土) 15:37:56.25 ID:RK/Nj4Cd0.net

>>7
だよなあ
それで考えたらこの質問別におかしいとは思わんのだが

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